家族の中の誰かを通して表れる問題は、世代間で絡み合うもつれた糸の様なものを浮き彫りにすることがあります。世代間に渡る家族関係の回復の物語がこの扉の向こうにあります。

家族の中の誰かを通して表れる問題は、
世代間で絡み合うもつれた糸の様なものを浮き彫りにすることがあります。
世代間に渡る家族関係の回復の物語がこの扉の向こうにあります。

父とのこと 文・新田弘子

左官職人であった父は、正直過ぎて人付き合いも世渡りも下手な人でした。
夜になるとお酒が入り、同居していた父の父(私の祖父)と毎日のようにケンカをしていました。
母や祖母もそれぞれに大変な思いをしていたことをよく覚えています。
一人っ子で、学校の友達も少なかった私は、このような家族関係を誰にも打ち明けることも出来ず孤独でした。
家の中に「こんな家族になりたい!なろう!」と書いた壁新聞を貼ったり、父のお酒を庭に流したり、ケンカの声が聞こえないように耳栓をして布団にもぐるのが常でした。
小学生の私は学校から帰ってくると「赤毛のアン」シリーズを夢中になって読みました。その時間だけが平和で幸せだと感じていたからです。
夜寝る前には、「アン」と名付けた日記帳に心のつぶやきを書いていました。
当時の親友は「赤毛のアン」だけでしたね。

中学高校時代は、父と口もきかなくなりました。
でも、反抗している自分の心も醜いなあと思って、教会に通うようになりました。
日曜日は教会に入りびたり、初めて居心地の良い人間関係を味わいました。
洗礼も受けて、神学校にまで行く気だった私が普通の大学に進み、人生初の大きな曲がり角に差し掛かりました。
「代表ご挨拶」にも書きましたとおり、学生恋愛の末、22歳で田舎の山持ちの長男と結婚したのです。
私の父は、この結婚に反対でした。
熊本から岡山、岡山と言っても、鳥取に近い小さな村。当時、交通手段も悪く不便極まりない場所。
「せめて九州管内にしてくれ」と母につぶやき、一晩中泣きながら熊本市内を自転車でグルグル行き巡っていたエピソードを知ったのはかなり後からでした。
結婚してからは、あまり里帰り出来ない私に代わって、両親揃って岡山市内から車で2時間半もかかる所へ何度も来てくれました。
私の両親にとってもかけがえのない宝物になった孫たちに会いたい一心でもあったのでしょう。

月日は過ぎて、両親は70代半ばで故郷熊本を後にし、岡山に来て私と25年ぶりに一緒に暮らすことになりました。
父のうつ病が進んでいたのです。
夫の事業が行き詰まり、私は岡山市内に住んで仕事をし、ようやく軌道に乗り始めた頃でした。

両親と再び暮らすことになったのですが、決断して来てくれたとはいうものの、父の不安は大きくなり被害妄想が激しくなりました。
折り合いがつかずケンカになることもしばしばありました。
しかしながら、私の仕事が忙しくなるにつけ、母は元より父なりに懸命にサポートをしてくれました。

結婚から22年同居していた義父母にも田舎から出て来て頂くために、同じマンション、同じ階に暮らせるように準備しました。
ただ、4人の親との生活はかなり大変でした。
しかし、この関係にも変化、成長、回復が起きました。こちらはブログでお分かちしたいと思います。

ある年のクリスマスに、私は父に手紙を書きました。
何十年分の父への思いを込めて綴った手紙でした。
その頃すでに笑顔が増えていた父でしたが、「弘子からラブレターをもらった」と、すごく嬉しそうに言ったよと母から聞いた時の喜びは格別でした。

その後も父はよく笑うようになり、関係の回復はゆっくりと進んで行きました。

2012年8月23日、私の58歳の誕生日。父に末期肝臓ガンがみつかりました。
余命3ヶ月と宣告され…父の死まで同伴する、命の戦いが始まりました。
それは、父が最終的に一人で神様に会う備えをすること…私にとってはその戦いでもありました。
それまでまだ遠いことでしかなかった「親の死」。

聖書は次のように言っています。
「罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」新約聖書ローマ人への手紙6章23節
すでにキリスト信仰を持っていた父でしたが、私は“人は必ず一度死ぬ”というやりきれなさにのみ込まれるようでした。
身近な肉親の初めての死だったからです。
もっと生きてほしい…
3ヶ月後にいなくなるなんて辛い…
夫の前で、一人神様の前で、何度も何度も声をあげて泣きました。
私の願いは、父が信仰による救いの確信と、永遠の命の喜びに満ち溢れること。
「治らないことを受け入れる。抗がん剤治療はしない。自宅で最後を迎えたい。」という父の決意を尊重し、私と母は自宅での看取りを決意したのです。
「より長く」というよりも「より良く」生きてほしいと思いました。

自宅で看取りをした3ヶ月の間、毎日父と母と手をつなぎ、共に祈り合った時間は素晴らしいものでした。
「ぬし(熊本弁でお前という意味)に全部任す」と娘への信頼を言葉にしてくれた父。
娘として余すところなく父に「ごめんなさい」「ありがとう」を伝えることの出来た3ヶ月間は、愛し合う、ゆるし合うことが成就した時間でした。
少女の頃の願いが豊かに結実したのです。

互いの痛みや傷を癒やされた時間をグリーフケアと呼んでいいなら、正にこの時間は、神様が与えてくださった最高のグリーフケア、癒やし、回復の時でした。

夫婦関係 文・新田俊憲&弘子

空気のような存在、それが良い夫婦の定説のようになっています。
私たち夫婦は2024年6月10日で、結婚47周年を迎えるのですが、金婚式まで3年とは…へえーと互いにびっくりしています。
でも、”空気“にはなっていませんねえ。
むしろ、ずっとケンケンガクガクやって来た年月のように思います。
ケンケンガクガクと言っても一方通行で、私の一人相撲と言った方が正確ですけど。

夫が私との結婚、夫婦関係をどのように考えて来たのか、自然体で聞くことができたのはごく最近です。
観念したのか、夫も本音で答えてくれました。
「22歳で結婚した。夫になる準備も父親になる準備も出来ていなかった。
若いということもあったけど、自分の欲求を満たすためだけに動いていたと思う。
夫婦関係も最悪になる中で、子どもたちは育っていった。夫婦としていい関係になりたいと思ってもどのようにしたらいいのかわからなかった。
自分の親のせいにするわけではないけれど、具体的に愛されたという実感がないので、妻や子どもを愛することがどういうことかわからなかった。それだけではなくて、妻や子どもが何を欲しているのか、どうして欲しいのか知ろうとしなかった。
『こういう人になりたい』と思うような人物に出会ったこともなく、『こういう人生を歩みたい』と思ったこともない。希望がなく冷めていて、目の前の興味あることで楽しめばいいと思っていた。
結婚相手は賢くて、自分の足りないところを補ってくれて自分を助けてくれる人が良いと思っていた。
相手の出来ないことは自分が補えばいいと考えていた。
実際、妻の苦手な部分はサポートしたし、自由も尊重した。ただ、妻が本当に求めていた『会話』とか『共にいること』には無関心でほとんど応えなかったと思う。
ほんの数年前までひたすら自分のしたいことに時間を使っていた。お金も時間も9割は自分のために使ったと言える。」

ここまでの夫の話を聞いて
夫がなぜクリスチャンになったのか聞いてみたいと思いました。
夫の答えを要約します。
①子どもの頃から、この宇宙は誰かが創ったのであり、神は存在すると思っていた。
②他の宗教よりキリスト教の方がどんな人でも救えると思っていた。
③洗礼を受けた時は、妻や子どもと同じところにいれたらいいくらいの考えで、自分が罪人だという認識はあまり無かったように思う。
④人生の失敗は自分の傲慢、欲のせいであったし、結んだ実を見るようになってから、*原罪の重さがわかるようになった。この罪は自分ではどうにもならないこともわかって来た。
⑤年齢もいき、体力、経済、様々なことが衰え、狭められて来ないと、自分の罪も神様の恵みもわからなかったのだと思う。

最後に、今現在、妻に対してどのような思いを抱いているのか聞いてみました。
「自分には無い能力がある。ひたむきに学び続ける姿勢、努力を惜しまない姿を尊敬している。」
これからの歩みについては「長い間、時間もお金も9割は自分のため、残り1割を家族のために使って来た人生だったけど、これからは、神様と家族に仕えたいと思っている。一致して同じことを出来たらと願っている。」

全ての話を聞き終わって、
以前からくすぶっていた「夫は私を愛しているのではなく利用しているのだろうか」という疑問が一瞬頭をもたげました。
「私の存在を丸ごと愛しているのではなく、夫にとって役に立つ部分だけを評価している、これは悲しい」「夫にリーダーシップをとってほしいのに、夫は呑気で無責任だ」この葛藤は長く続き、何とか自分の気持ちに折り合いをつけやり過ごしても、心が晴れない、何だか複雑、ずっとそんな感じでした。
しかし、夫の話を聞き終えて、私はこれまでと違う自分の反応に気付きました。
「夫は正直に語っている。これが夫の精一杯に違いない。夫の言葉をそのまま受け止めよう。」と思えたのです。

今年(2024年)は、「再び家族としてやり直そう」と決意してから、約20年になります。
実は…
夫の事業の行き詰まりにより、私たちは離婚を余儀なくされ、私たちの離婚後家族も10年ほどバラバラになって生きたのです。
しかし、2007年12月の最初の日曜日に、当時通っていた教会で、私たちは再婚式を挙げました。
再婚して17年。
最初の挙式から数えると今年で47周年ということになります。

身体的病気(特に慢性的疾患)の回復には、罹患していた年月と同じくらいの時間がかかると聞いたことがあります。関係の回復にも同じことが言えるのかもしれません。
この再婚のあとの10年間も、互いに「もう無理だ。やってられない」と、やり直すことを御破産にしたくなったり、逃げ出したくなったことが何度あったことでしょう。

最後に、夫婦関係、親子関係の回復を切望して歩んで来た年月を振り返って、私自身の気付きをまとめてみたいと思います。

一つは相手に対する不信感、疑いは、邪推に繋がり、思い込みも強まり、相手の言動を否定的にしか見れなくるということです。
二つ目は盲信、相手に対する過大評価は、依存を助長すると思います。
どちらもセルフイメージの低い人のものの見方ではないでしょうか。
私は長年、この両方を行ったり来たりしていたのです。
勿論、相手の言動にも問題があるのですが、「私の理想」に基づいて相手を変えようとすることは、さらに問題だったのです。
理想の内容が「愛し合う、ゆるし合う」などの誰もが望む良いこと、正しいと思えることである場合、注意が必要です。
自分にも相手にも「変わる」ことを強要しがちになるからです。真面目で完璧主義な人は要注意です。

今回の夫の語りを聞きながら、「私の一人相撲」の正体は「理想を目指しての見当外れの奮闘」だったのだなと腑に落ちました。

これまでと同じ言葉、同じ表現を聞いても、一瞬のざわつきに左右されず、前述の結論に至ったのは、別の確信が生まれていたからです。
それは、聖書の言葉、そこに書かれている神様の約束は真実だという確信です。
クリスチャンになって半世紀近くになるのですが、このような揺るぎのない確信に至ったのは3年ほど前からです。(この詳細はブログに綴りたいと思います。)

関係の変化、成長、回復は、起こそうと躍起になって起こるものではなく、ポンと表れる結論でもなく、プロセスなのではないでしょうか。
蒔かれた種が芽生え、やがて実を結ぶというイメージです。
結実を待つことには忍耐が必要になりますが、待っている間をどのように過ごすのかはとても重要です。
理想と現実のギャップは常にあるからです。
嘆いてばかりいるのか、
不平不満を周囲にぶつけるのか、
はたまた目を逸らして違う現実に生きるのか、
私は選択したのです。
現実(事実)をそのまま認め、将来に希望を持ち、腐ることなく自分の分(責任)を果たしながら少しずつ前へ進むことを。

選択理論心理学の知識の応用と分子栄養学の栄養療法実践は、私の心身のバランスに不可欠な要素でした。
しかし、何と申しましても、聖書の言葉への信頼が最終的な決め手になりました。

結実の法則があるとすれば、分子栄養学と選択理論心理学は、まことに理にかなったアプローチであり、聖書ほど結実の希望と成就、その祝福について語っている書物はありません。
ここに平安がある。ようやくたどり着いた私の結論です。

この体験が、皆様の抱えておられる悩みや葛藤を共に考え、ほんの少しでも解決のお手伝いが出来れば幸いです。

*原罪
全人類の生まれながらの性質の腐敗を意味する教理用語。
神から独立し、自らが神のようになることこそ、罪の本質である。

夫婦写真

両親と私 文・新田優香

1)小さいころ
私はこんなことを願っていました。
他愛のない会話を沢山して笑い合いたかった。
「私」という存在をちゃんと見て知ってほしかった。
娘の特徴や好きなもの、嫌いなもの、苦手なこと、何を喜び何をツライと感じているかを知ろうとするまなざしや関わり、理解されていることを感じたかったのです。

幼少期、唯一夕食くらいが親子揃って一緒に過ごす時間でしたが、
残念ながらほとんど笑顔も会話もない食卓でした。
そんな家庭の状況だったので、小学生のころから放課後は近所に住んでおられたお婆さんたちの家3軒くらいを渡り歩き、週末は教会や友達の家に泊まりにいくことが習慣で、居場所だと感じていました。

あるとき「わたしは聴く人になる」と心の中で決意をしたことを覚えています。
小学4・5年生だったと思います。
無意識に自分の心を守るためにした決意だったと思いますが、
結果、私は母の姉役・親役をするようになりました。

2)謎が解ける
その後人生に様々なことが起こる中でハッと気づいたことがあります。
私は一人の子どもとして父親母親探しをしている。ということでした。 

3)まさかの事態!
自分では想像もしていなかったことが起きます。
離婚によって疎遠だった親と共に暮らす生活が始まったことです。物理的に身近になったことで、パンドラの箱が開くことに・・・。
母の仕事を手伝うようにもなっていた為、その距離感の中で特に母とは何度もぶつかりました。
ケンカができるようになったことを嬉しくも思いましたが、それがあまりにも繰り返されると心身ともに疲弊します。
親子4人でカウンセリングを受けたこともあります。
第三者にそれぞれの胸の内を聴いてもらえるというのは大事なことだと思いました。
でも願うような親子関係を取り戻すというのはなかなか至難の業でした。

心だけではなく体の状態もボロボロでしたので、そのこともケンカをヒートアップさせる一因だったかもしれません。
感謝だったのは、体については分子整合栄養学の栄養療法で立て直せる希望を持てたことでした。

親子関係のすったもんだの中で、母が学んだ選択理論心理学の情報も教えてくれましたが、当時はまだ感情が嵐のような時でしたからそんなに簡単にうまくはいきませんでした。
ですが今は、聖書のことばを土台として生きる者として、相手や状況がどうであれ、何を自分で選び取るか、その自由や喜びがわかるようになりました。
そのことが前進していく良い力になっていると私は感じています。

4)ブレイクスルー
たくさんのぶつかり合いや葛藤の末、相手ではなく「自分の分」に取り組むことの大切さを得心できました。
これは父との関係においても同じです。
私の中に父との関係でなかなか乗り越えられない一つのハードルがありました。
それがつい最近、聖書のことばを通して「自分の分」がわかり、高く感じていたそのハードルをためらうことなくスっとジャンプすることができたのです。
不思議な出来事でした。
体が元気になるというのはとても嬉しいことですが、
私はそれ以上に心や魂が元気になり内面が成長していくという可能性になんとも言えない喜びを覚えています。

5)今
心の赤字が黒字になったことで、今は素直に自然と両親への感謝をもつことができるようになりました。
特に母が母なりの愛情で踏ん張ってくれたこと、向き合ってくれたことを心から感謝しています。

読んでくださった皆様へ
関係性の回復は、わりとすんなり起きる場合もあれば、長い時間を必要とする場合もあると思います。
家族関係以外にも様々な関係性があります。
なかなか手ごわいことではありますが、私は関係性の回復は不可能ではないと信じています。
自分たちの通ってきたことが少しでも誰かの励ましになれば幸いです。

家族写真
料金

①お試し相談初回無料です
②カウンセリングの継続について
▪2回目からはご予約の上、チケットをお買い求めください。
▪1時間/3,500円、1時間半/5,000円、2時間/6,500円
▪カウンセリングの時間は最大2時間までとさせて頂きます

カウンセリングについてのよくあるご質問

はい。守秘義務を厳守した上で、些細な悩み、誰にも話せない悩み、自己のためのカウンセリングなど、なんでもご相談ください。

ご安心ください。話すのが苦手という方、言葉に詰まってしまう方でも大丈夫です。しっかりと傾聴しながらヒアリングを行わせていただきます。

はい。可能です。必要に応じて適宜ご調整致します。但し、複数人の場合、2回目以降から人数分の料金が発生致します。

もちろん可能です。初回は無料ですので、お試しでお気軽にご相談ください。一度カウンセリングを受けて頂いた上で、再度ゆっくりご検討いただければと思います。

抱えているお悩みの深さによって異なります。 簡単な悩みでも長年のものであれば、変化しにくい状態になっていることが多く、回数は増えてしまう場合が多いです。 現在の問題を早く解決されたいという方から、心のメンテナンスを定期的にしたいという方まで、回数や期間には幅があります。

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体の回復

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